鍵
先ほどまでボールを打ち合う音が響いていたテニスコートにはもう誰の人影も無く、ただ自分が滑らせるシャープペンシルと紙の擦れる音だけが耳に優しい。
なんでも今日は駅前のファーストフード店で安売りが行われるらしく、こういうことに一番敏感な桃城がいつも一緒に買い食いする菊丸と越前を誘い、その菊丸が不二を、不二が河村をと輪が広まって、結局その場にいた大石以外のレギュラーメンバー全員引き連れた大集団が一足先に部室を後にしていった。
桃城は大石のことも誘ったのだが、大石は手塚が戻って来ていないことと、部誌を書いてないことを理由に断ってしまった。ただ、菊丸が不満そうな顔をしていたのが申し訳なかった。
部活中に生徒会からの急な呼び出しがあり部活を抜けた手塚は下校時刻を過ぎた今も帰ってこない。
いつ帰ってくるか分からないが、待つことは嫌いではなかった。急かされることも無く時間に身を委ねられる空間は心地よく、いつ来るのかという仄かな期待や小さな躍動感がなんとなく好ましかった。ふと人の気配がして扉に目をやれば、その扉が開いて待ち人は現れた。
「…すまない、遅くなった」
「いや、気にしないでいいよ。お疲れ、手塚」
先に着替えてしまった大石と違いジャージのままの手塚がロッカーを開けて着替えを始め、少し俯いてワイシャツのボタンを一つ一つはめていく。その端整な横顔に目が釘付けになる。
………キスしたい、と思った。
「…どうかしたのか」
「え!?…いや、なんでもない」
手塚と目が合った瞬間に電気が走ったように大石の心臓が高鳴り、鼓動が大きくて手塚に聞こえてしまうんじゃないかとすら思った。自分が思っていたよりも長く見つめていたようで、いつの間にか部誌を書く手が止まっていることに気が付いた大石が慌てて部誌に向き直る。大石が手塚に背を向けて部誌の文字に目を走らせるが、その頭の中に文字情報は一つも入っていかなかった。
大石が胸の高鳴りを抑えようと目を閉じて深呼吸すると、黒い影が突然現れて窓から差し込む夕陽が遮られた。
「手塚…?」
逆光で輪郭しか確認できない手塚のシルエットが机を挟んで大石の前に立つ。
「…ても、構わないか」
「え…?」
前のめりになることで表情の見えない手塚の顔が大石に近づく。
「キスしても、構わないか」
大石は答えを口にすることは無かった。代わりに、少し首を仰け反らせることでそれに応えた。
それはまるで子供のような、唇が少し触れ合うだけのとても浅い口付けだったのだけれど、二人は長い間そのままでいた。
先に離したのは手塚の方で、「すまない」と一言言って顔を背ける。
「お前がこちらを見ているのが分かったら、堪らなかった」
手塚も自分と同じことを考えていたことが可笑しくて、珍しく照れているのだろうその姿がなんだか可愛く思えて、大石が顔を綻ばせる。
「ううん、俺も…キスしたいって、思ってたから」
「…そうなのか」
菊丸や桃城は、残った大石のことを貧乏くじを引かされていると思ったはずだ。
それなのに喜んでいる自分がいて、大石は悪いことをしている気分になった。その癖手塚と共犯者になったような感覚が妙に嬉しかった。
「俺さ、鍵当番で良かったなって思うよ」
夕陽のせいだけでなく顔を赤くさせた大石がはにかむ。
手塚は「鍵なんて、関係ないだろう」と言うと、赤く染まったその唇にもう一度口付けた。
2009.1.27 鍵
こんなにラブい塚石が始めてな辺り塚石サイトとしてどうなんだろうか。
桃城が「すいません先輩!忘れ物したんすけど、まだいますー!?」とか言って乱入するオチがあったりなかったり(止めろ)。
…ていうかこれ「鍵」じゃなくて「鍵当番」(殴)。汗&涙2の鍵当番引継ぎに相当萌えました(あれ?)。